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仙台国際日記

仙台国際日本語学校の日々をお伝えします。

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2012.06
29
6/28(木)

年に2回の校外研修。
バスで東北地方の観光地へ赴くことが多いのですが、今回はちょっと趣向を変えてボーリング大会を開催しました。

開店待ち

会場は学校から直線距離で2キロほどのところ。
そのため事前に地図を渡し、電車の時刻を教えておき、現地集合にしました。
案の定、道に迷って遅れた学生もいましたが、これも良い社会勉強です。
予定通り到着した学生たちは、多少の遅れなんて気にせず玄関前で談笑。
日本人とは違い、時間におおらかです。

楽しそう

中に入り、早速スタート!といきたいところでしたが、靴の履き替えで手間取りました。
日本では「㎝」でサイズが表されていますが、これは世界共通ではないのです。

履き替えが完了したところで、ようやくゲーム開始。
意外なことに、今までにボーリングをしたことがあるのは半数ほどでした。
最初はボールにある3つの穴に、どの指を入れるのかさえわからない者もいましたが、すぐにルールやコツを吸収。
今回が初体験であるにもかかわらず、1ゲーム目からいきなり140近いスコアを叩き出した学生もいました。

美しいフォーム

でも、やはり経験者は違います。
往年の名選手を彷彿とさせるきれいな投球フォームの韓国のBヨンさん。
ポイントは投げ終わった後の右足ですね。

初めまして

普段の授業は午前クラスと午後クラスに分かれて行っていますが、今大会は全員参加。
一緒にプレイするチームは男女比や国籍、クラス構成などを考えて、あえてごちゃ混ぜにしました。
「はじめまして」の相手も多かったことと思いますが、こういう交流もイベントならではです。

優勝おめでとう!

約2時間、2ゲームを終えた後は表彰式。
1位はベトナムのTゥさん。
賞状と賞品を贈呈しました。
ちなみにスコアは1ゲーム目が160、2ゲーム目が172!
これでも久しぶりだったため本調子ではなかったそうで、「国では平均200でした」と言っていました。

最下位おめでとう!

こちらは2ゲームの合計スコアが最下位だったモルドバのCリスティーナさん。
嬉しそうに見えますが、実はこれ、驚きと恥ずかしさが入り混じった表情なのです。
周りの学生たちは1位のTゥさん以上の拍手を贈ってくれました。

記念撮影

今大会の様子はこちらからもご覧いただけます。
どの写真も良い顔で写っています。
きっとみんなの心に「ストライク」だったのでしょう。
とても楽しい1日でした。

秋の研修もお楽しみに!


(セ)


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2012.06
27
6/27(水)

東北電子専門学校と姉妹校である当校は、コンピューター関連の設備が充実しています。
校内にパソコン室が2部屋あり、対応している端末があれば無線LANを使用することもできます。
また年に数回、東北電子専門学校の先生によるパソコン講座も行っています。
と、宣伝文句ばかり並べましたが、授業ではこの強みを活かしきれてはいませんでした。
でも、「でした」です。

あれは何だ?

写真は今日の授業風景。
ん?K長先生が持っているあれは…

鳩 → 烏

そう、ipadです。
今期から授業に導入し、現在は主に語彙の授業で活用しています。
上の写真は「鳩(ハト)」から「烏(カラス)」へスライドしているところです。
教師の絵や白黒の絵カードではわかりにくいこの2つの言葉も、ipadを使えば一目瞭然。
これがあれば、飛行機を書いて「魚!」と言われる心配もなく、一度使った絵カードを探してあたふたすることもありません。
また、次から次へと画像や絵を見せることができるので、学生たちの目線が自然と上になり、会話が途切れません。

今後は語彙以外の授業での有効な使い道を探していこうと思います。


(セ)


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2012.06
25
6/25(月)

今年度入学した学生を対象に、日本の規則及び学則のガイダンスを実施しました。

「ちょっと遅いんじゃないの?」と思われる方もいらっしゃると思いますが、これには理由があります。
日本語学校にはいろいろな国から、いろいろな背景を持った学生が入学してきます。
そのため、来日する時期もばらばら、日本語のレベルもばらばら、もちろん母国語や母文化もばらばらなのです。
入学してすぐ、一人一人に訳文付きの紙を配布してざっと説明はしていますが、
日本語でのやりとりがある程度できるようになったこの時期に、改めて詳しく、というわけなのです。
※午前クラス(日本語中級から上級)の学生には4月の授業指導しました

説明中

交通ルール、ごみの捨て方、犯罪、乗り物内でのマナー、アルバイトについてなど、
基本的には日本語で説明しましたが、きちんと理解してくれたようです。

学生のみなさん、ルールを守ることで自分自身が守られます。
厳しくて大変だと思うかもしれませんが、今日学んだことをしっかり実践しましょう。


(セ)


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2012.06
21
6/21(木)

先週の授業後、数人の学生から「日本の歴史や日本の偉人についての本を読みたい」との声が上がりました。
そこで今週は図書館の「団体貸出」なるサービスを利用し、それらを含む30冊を新たに加えました。
このサービスはたいていの図書館で行っており、個人で借りるよりも多くの本を、長期間借りられるのだそうです。
iタイムを通して私たちも勉強になりました。

多読①

さて、学生たちの多読の様子ですが、前回と変わらずすごい集中力。
エアコンの音がよく聞こえます。
先週、今週と見ていると、外国人向け多読教材はもちろん、マンガ、児童書、伝記、歴史の本、妖怪の本などが人気があるようです。

多読②

また、今回追加した「外国の昔話」シリーズ、つまり学生たちの母国の話もウケが良かったものの一つ。
すでに知っている内容を日本語で読むというのも面白いそうです。
自分の国の話を他の国の学生に紹介する場面も見られました。

多読③

写真が多い雑誌も、若者の言葉や最近の流行を知るのに意外と役立ちます。
学生たちには、身の回りにあるものすべてが教材となり得るんですね。

面談

多読と平行して行っていた個人面談も今回で終了。
自宅での生活、卒業後の進路、将来の夢などの話のほか、
「テストが多い」、「もっとカジュアルな会話で使う言葉を勉強したい」といった貴重な意見も聞くことができました。
それらのすべてには応えられませんが、できることから改善していこうと思います。
私たちも頑張るので、学生の皆さんもより良い学校作りに力を貸してくださいね!

来週は校外研修の様子をお伝えします。


iタイム


(セ)


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2012.06
19
6/18(月)

卒業生から暑中見舞いが届きました。
送り主はこの人。

ヴィクトルさん

このブログでは、もはやお馴染み、ヴィクトルさんです。
今年の3月に当校を卒業し、現在は仕事の都合で鹿児島で暮らしています。

暑中見舞い

鹿児島らしく、桜島の絵ハガキでした。
お酒好きの彼らしく、焼酎のシールも貼ってありました。

ヴィクトルさん、どうもありがとうございます。
お手紙をいただき、本当に嬉しいです。
仙台も蒸し暑いですが、私たちも元気です。
鹿児島はもうすぐ梅雨が明けて暑くなると思いますが、
仙台より鹿児島のほうがメキシコの気候に近いので、ヴィクトルさんにはちょうどいいかもしれませんね。
でも、くれぐれも体には気をつけて、元気で頑張ってください。
外出するときは帽子をかぶってくださいね。
また会える日を楽しみにしています。


(セ)


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2012.06
14
6/14(木)

先週末に梅雨入りした仙台。
次のiタイムは何をしようかと考えていたら、「晴耕雨読」という言葉が浮かんできました。
学生たちは晴れの日に農作業をしているわけではありませんが、そんなわけで今週のテーマは日本語で書かれた本の「多読」です。

多読とは読んで字のごとく、本をたくさん読むこと。
でも読解の授業とは違い、一人一人が別々の本を自分のペースで読んでいきます。
もちろん読んだ後に問題はありませんが、読む上で4つのルールがあります。

 1 辞書は引かず、メモもとらない
 2 わからない言葉は飛ばして読む
 3 進まなくなったり、面白くないと感じたら、その本を読むのをやめる
 4 やさしいレベルの本から読む

熟読

本のジャンルは小説、マンガ、昔話、絵本、伝記、エッセイなどなんでもOK。
でも絵や写真があり、漢字にはルビがついているもののほうが彼らには好まれます。

ニヤリ

今までに教科書以外の日本語の本を読んだことがあるのは、学生全体の1/3程度でしたが、読んでみれば読めるものです。
おもしろくて思わずニヤリとする人あり、本の世界にどっぷり浸り、泣きながら読み進める人あり。
でも中には横書きの本に慣れているせいで、縦書きの本を後ろから完読してしまった人も。

聞き読み

本を読むのに慣れていない学生には、付属のCDを聞きながら読む「聞き読み」をすすめました。
すると、「わかる、おもしろい」といつしか音を離れ文字の世界へ。

すごい集中力

授業とは少し違う、積極的な静けさが教室を包んでいました。

面談中

一方、別室ではクラス担任が個別面談を実施。
日本語の勉強、生活、進学先、クラスの雰囲気、アルバイト、個人的な悩みなどについて話を聞きました。
普段はなかなか一人一人の状況や要望を聞ききることができないため、学生たちも言いたいことが溜まっていたのでしょうか。
今日1日で全員と話をすることにしていましたが、予定の半分の人数と面談をしたところでタイムアップとなりました。

多読も面談も、学生教員双方にとって、非常に有意義な時間でした。
ということで、来週のiタイムも今回と同じ内容でやることにします。
多読では新しい本を追加するので、学生のみなさんお楽しみに。


iタイム


(セ)


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2012.06
12
6/7(金)

授業後の学生がいない静かな教室…

机の下(全員)

ではありません。
よく見ると…

机の下(一人)

机の下には学生たちがいます。
そうです、これは防災訓練の真っ最中の写真なのです。

当校では、毎年定期的にこのような訓練を行ったり、地震のDVDを見せたりしてきました。
そのおかげで昨年の3/11の大震災でも、パニックに陥らず冷静に行動することができました。

が、今回はこの4月に入学した学生たちが対象。
つまり、初めての経験というわけです。
あえて事前に伝えていなかったためか「地震発生、火災発生」という放送に本気で驚いている様子の学生も。
「練習ですよ」と教えた後は安心した表情が見られましたが、その後もふざけずに避難経路を通り、校舎の外へ避難していました。

少し怖がらせてしまったかもしれませんが、これも「もしも」のときのため。
これからも訓練は続けていきますが、このような取り組みが今後「役に立たない」ことを祈ります。


(セ)


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2012.06
07
6/7(木)

当校の授業は対話重視。
これは、はっきりと言いきれます。
「教師→学生」の一方通行ではなく、「やりとり」をしながら、新しい漢字や言葉、文法等を教えるように心がけています。

しかし、それだけでは彼らにとって、日本語のアウトプットの機会が十分であるとは言えません。
筋肉が使わなければ強くならないように、言葉も使わなければ身に付かないものです。

そこで今回のiタイムのテーマは「日本語で話す」。
90分、これだけ。
手順は以下の通りです。

 1.学生にくじを引かせ、5~6人のグループに分ける
 2.国籍や人数、男女比等を考慮して、教職員が1名ずつ「進行役」として加わる
 3.ネタカードを各グループに配布する
 4.ネタカードを引き、書かれている話題についてグループ内で日本語で話す
 5.上記1~4を15分単位で繰り返す

1

上の写真の机の真ん中にあるのがネタカードです。
「長所と短所」、「最近泣いたのはいつ?」、「○○がやめられない」など60を超える話のネタが書いてあります。

2

普段はおとなしい男子学生が耳を赤くしながら恋愛トークを繰り広げたり、
お高いイメージがあった学生が自らの失敗談を話してくれたりと、意外な一面が見られました。
また、中国やベトナムでは家族に対して「ありがとう」と言わないなど、こちらも勉強になることがありました。
きっと学生たちにとっても、日本語をたくさん話し、たくさん聞くことで、また様々な国の学生と交流することで、得るものがあったことでしょう。

積極的に参加してくれるかどうか心配していたのですが、始めてみれば大盛り上がり。
雰囲気が少しでもよくなればと流しておいたクラシック音楽が聞こえなくなるほどでした。

3

あっという間の90分。
iタイムは終わっても話は終わらず、その後も会話を続ける人も。
話す場と話すきっかけさえあれば、みんなおしゃべりになるんですね。
今後の授業にも活かしていきます。

「話」が「和」を生み「輪」になった今週のiタイムでした。


iタイム


(セ)


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2012.06
06
6/1(金)

当校卒業生、ネパール人のBッティさんとBピンさんが遊びに来てくれました。
しかも東京から、一般道を10時間かけてスクーターで。

Bッティさん、Bピンさん

左から2番目がBッティさん、4番目がBピンさんです。

Bッティさんは当校を卒業後、東京の専門学校に進学。
現在は何と東京で会社を経営しているそうです。
在学中はよくキュウリとニンジンを食べていました。

Bピンさんも当校卒業後、東京の専門学校へ。
現在も一生懸命勉強中とのことです。
短い時間の立ち話しかできませんでしたが、2人とも日本語がかなり上達していることが感じられました。

そしてど真ん中に陣取るのは、在校生のAンナプルナさん。
彼もネパール人ではありますが、2人とは全く面識がありません。

Bピンさん

Bピンさんが通っている学校には、当校を巣立っていった学生が大勢います。
昨年3月の震災直後、彼らがメッセージボード(上の写真)を送ってくれました。
もちろんBピンさんからの励ましの言葉も書いてあります。
当時はその一つ一つから元気をもらいました。

再び会うことができて、そして元気そうで、非常に嬉しかったです。
今度仙台に来る時ときは、ぜひ高速バスをご利用ください!
ありがとうございました。


(セ)


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2012.06
02

日本と私
  A.Thapa(Nepal) 

本選出場 ・優秀賞受賞

 アンナプルナさん 


私はきょねん日本に来て、一年日本語を勉強しています。でも日本語がとてもむずかしいのでたいへんでした。ちょっとこまっています。私は日本に来るまえに日本語をすこしだけ勉強しました。

 

 日本に来たばかりの学校が休みの日、ともだちと買い物をするためにスーパーに入りました。私は初めて日本のスーパーに入ってびっくりしました。みなさん、自分のほしいものを自分でとっていました。そしてお金をはらうとき、みなさんならんでお金をはらいました。買い物のとき、だれもぜんぜんはなしません。ネパールのお店で買い物するときは、はじめに自分がほしいものを店員と話さなければなりません。店員は「おきゃくさま、元気ですか、ごはんをたべましたか、まだですか」とか話します。それで私は日本のスーパーに入ったときびっくりしたのです。

 

 1か月あとで、私と日本人のともだちはいっしょに食事のためにレストランへ入りました。食事のあとでともだちは、自分だけお金をはらってそこを出ました。そのときも私はびっくりしました。ネパールでは食事のあとで、お金を年が上の人やともだちの中から一人がはらいます。でも日本人は自分のお金は自分ではらわなければならないのです。

 

 それから、私がネパールから日本に来たとき、仙台えきで学校の道がわからなかったので、学校に電話をしなければならないとおもいました。電話のところへ行きましたが、私は電話のつかいかたがぜんぜんわかりませんでした。それで私はとなりの日本人に話しました。「私は電話のつかいかたがわかりません」と話しました。その人は私に100円くれました。でもあとはぜんぜん話しませんでした。そのあとで私はとなりの女の人にもおなじことを話しました。でも女の人は「I don’t know」と言って帰りました。そのとき私は日本語と電話のつかいかたがわからなかったので、10分しかかからない道に2時間かかってしまいました。

 

 ほんとに日本とネパールはちがいます。日本人はいつもあまり話しません。でも日本人はしんせつです。仙台えきで私が話したとき、私の話がわからなかったので、その日本人は100円くれました。そのとき私はおもいました。私の話がわからないのでこまったのでしょう。

 

 日本人とコミュニケーションをするために、もうちょっとがんばって日本語をしよう。そうすれば日本人とおなじように話せるようになるとおもっています。






だいぶ間が開きましたが、「Speech Contest 2012 Scripts」シリーズ、以上で完結です!


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2012.06
01
5/30(木)

午前クラスの学生を対象に、日本語のプロフィシエンシーテスト(熟達度テスト)を行いました。
簡単に言えば、今の自分の日本語能力がどのぐらいなのかを測るテストです。
現在学んでいるクラスの学習進度や、既に合格している各種日本語試験のレベルを基準に3つの級に分けて実施しました。
もちろん当校オリジナルではなく、外部機関のものです。

試験中

文字・語彙、文法、読解、聴解を含む約3時間の試験の後には「難しかった~」、「疲れた~」という類の声。
しかし、「思ったよりできました」と自信ありげな表情の学生も多く見られました。
日頃の勉強の賜物ですね。

試験結果は2~3週間後に出るそうです。
合格した際には「先生のおかげです」と嘘でもいいから言ってくれたら嬉しいです。
不合格だった場合は…自分のせいですよ。
と冗談はこのぐらいにして、結果がどうであっても、今の自分の実力としっかり受け止め、今後の学習に役立ててください。
皆さんお疲れ様でした!


(セ)


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2012.05
30
5/30(水)

(この?)日本語学校には、学生のご家族から学生宛の荷物が届くことがよくあります。
服や食べ物、時には得体の知れないものまで、様々なものが学校を介して学生の手に渡ります。

小包

しかし、今日届いたのは見慣れない黄色い箱。
差出人を確認すると…!!!

仙台の海で

3/8~3/10までベリースペシャルコースで学んだ、スペイン出身スイス在住の物理教師ガブリエルさん(写真中央)でした!
3日間という超短期間で、日本語の簡単な挨拶や表現を学び、書道も体験してもらいました。
また、当校の学生と一緒に被災地の海を見にも行きました。

手紙①手紙②

箱の中に入っていた手紙です。
英語、スペイン語、そして日本語で感謝の言葉が書かれていました。
「教えてくれてありがとう」は最終日にガブリエルさんから聞かれ、教えた表現です。
まさかこんな形で使ってくれるとは。

手紙の他にもチョコレート、お菓子、1年の休暇中に彼が渡航先で撮影した写真等が入ったUSBも同封されていました。
その写真の中の一枚に…

遠国のガブさん

なんと最終日にプレゼントした教員手作りの消しゴムハンコを「桜吹雪」ばりに右肩に押したものも。
うーん、粋です。

短い間の出会いを、遠く離れた地でも忘れずにいてくれたことに感動しました。
お返しというわけではないのですが、ガブリエルさんも出演してくれた当校学生が作ったオリジナルDVDを近々送る予定です。
楽しみに待っていてください!

Gracias(ありがとう)!
Hasta luego(また会いましょう)!


(セ)


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2012.05
26
5/21(月)

非漢字圏クラスの漢字の授業で、学生たちに漢字を作ってもらいました。

「もしかしたら、今日作った漢字が100年後の漢字の辞書に載るかもしれないよ」。
そんな言葉から始めてみました。
学生たちは笑っていましたが、あり得ない話ではないはず。
だって今使っている漢字だって、昔どこかの誰かが作ったものなんだから。

また、作らせる前に漢字の成り立ちを6種類に分類した六書を確認。
こうさせることで漢字を見る目を養い、今後漢字を学習する際に、成り立ちや漢字を覚えるためのストーリーを考えさせるのがねらいです。
昨年も行い、名作が数々誕生しましたが、今年は更に良い出来でした。


象形(絵→漢字)

パソコンテレビ

左は「パソコン」。ノートパソコンを開いている形です。
右は「テレビ」。受信している様子をうまく表しています。

バナナガードマン

続いては「バナナ」。絶妙な曲がり具合。
「閃」は「ひらめく」の漢字としてすでにありますが、これで「ガードマン」だそうです。


会意(意味+意味)

コーヒーガス

さんずい+黒=「コーヒー」。
燃える気体(空気)で「ガス」です。

キスしあわせ

「男」と「女」を使ったもの。
左は「キス」。木偏を使ったところがムーディーです。
右は「しあわせ」。作者は妻子を残し、単身日本にやってきた学生です。

コンビニボランティア

日中から夕方(夜中)まで開いている買い物ができる(貝=お金)所といえば、「コンビニ」。
太陽(日)の下で、人がだれかのために心を込めて作業をする「ボランティア」。

水族館エレベーター


水槽(口)の中に水と魚で「水族館」。
番号を押すと上へ下へ、「エレベーター」。

こうして見ると、カタカナ語を漢字にしているものが多いことがわかります。
カタカナ語の氾濫に歯止めをかけるのは実は新しい漢字なのでは?とも考えさせられる楽しい授業でした。


(セ)


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2012.05
25
5/24(木)

今期から始めたiタイム
学生たちからも好評で「先生、今週のiタイムは何をしますか!?」と質問されることもしばしばです。
さて、今週のiタイムですが、「A or B」と題して2択クイズ大会を開催しました!

問題

プロジェクターを使い、ホワイトボードに質問を投影。
日本のルール、学校のルール、一般常識、時事問題、その他の雑学など幅広いジャンルから出題しました。

どっち?

できるだけ国籍が偏らないように5つのグループに分けたため、グループ内での会話は必然的に日本語に。

A!

答えが決まったら、一斉にカードをあげます。
こちらが解答を発表するたびに、歓声と落胆の声が響き渡りました。

クイズ大会ですから正解数を競うのはもちろんですが、それだけではありません。
たとえば1枚目の写真の場合、答えはBの「そば」ですが、どうしてそばを食べるのか、その理由も解説します。
また、日本人が結婚できる年齢を問う問題では「男性は18歳、女性は16歳から」という答えを確認した後、学生の出身国と比較。
つまり、日本にいながら他国のことも学べるというわけです。
うーん、International。

優勝 ゆりチーム

全30問を終え、何と24問正解で優勝したのはゆりチーム(今回は花の名前でチーム分けしました)。
賞品のお菓子詰め合わせセットを手にドヤ顔です。
勝ったチームも負けたチームも楽しく学ぶことができたのではないでしょうか。
残業して準備した甲斐がありました~。


iタイム


(セ)


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2012.05
19
初夏の仙台を彩る「仙台青葉まつり」が開催されました。
昨年は東日本大震災の影響で中止だったため、2年ぶりの開催です。

blog01.jpg

授業中に青葉まつりの説明をして、希望者を募集。
本日の集合時間には、4月に入学したばかりの学生を中心に9名の学生が集まってくれました。
(出身国はネパール、中国、サウジアラビア、韓国、ホンジュラスの5か国)

まずは「なりきりメイク」のコーナーがあったので、スズメのメイクを体験することに。
神妙な顔でメイクをしてもらうBヨンさん。

blog02.jpg

女の子だけでなく男性陣もメイクをしてもらい、山鉾前で記念撮影。
日本を感じますね~、記念になります!

blog03.jpg

この後は、すずめ踊りの衣装を身に纏ったカワイイ日本人の子供たちと記念撮影したり、
ゆるキャラのすずのすけ君と写真を撮ったりと、思い思いに楽しく過ごします。

そして、この日一番の目標である「すずめ踊り」への飛び入り参加のために踊りを教えてもらいます。
初めは戸惑いながら、見よう見まねで扇子を振り踊る外国人たち。
そのうち、恥ずかしさもなくなり大胆な踊りを披露するようになってきました。

blog04.jpg

blog05.jpg

そしていよいよ13時10分。
仙台市役所前、市民広場のステージにて念願のすずめ踊りを披露!
短い時間でしたが、みんな楽しそうに演じていましたよ。

終了後、司会者の方からも「外国からのみなさん、ありがとう!」と声をかけてもらって本当によい思い出になりました。

来年は、チームで出ようかな!?


(いま)


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2012.05
17
5/17(木)

今週のiタイム。

新しい在留資格について

本題に入る前に、今年7/9から新しくなる在留管理制度について、I郷岡先生よりお話をいただきました。
詳細はこちらからどうぞ。

さて、今週のテーマは「漢字」。
でも授業ではなく、ゲームです。

まずはグループ決め。
漢字圏出身の学生と非漢字圏出身の学生をごちゃ混ぜにし、4つのグループに分けました。
学生たちに考えさせたところ、グループ名は「鳥」、「虎」、「象」、「犬」。ナイスですね~。
そして大きい教室にホワイトボードを4枚を入れ、他のグループに見られないように配置します。
これで準備は完了、それではゲームスタート!

漢字ゲーム① 読み

漢字ゲームその① 読み
「セイ」という読みの漢字をできるだけ多く書いたグループが勝ち。
知っている語彙から漢字を導く人あり、形声文字の「声」の部分から考える人あり。
1番になったグループはなんと33字を書きました。すごい!

漢字ゲーム② 形

漢字ゲームその② 形
「口」の形が含まれている漢字をできるだけ多く書いたグループが勝ち。
意味は関係ないので、「足」や「遠」などもOK。
グループ内で「この漢字も」「ああ、あの漢字も」と協力し合う姿が印象的でした。

漢字ゲームその③ しりとり
漢字語を使いしりとりをし、長く続けられたグループが勝ち。
1番になったグループは5分の制限時間で「先生」→「生年月日」→「日曜日」→「日食」→「食物」
→「物理」→「理科」→「科目」→「目標」→「標本」→「本日」と11の言葉をつなげることができました。

漢字ゲーム③ 伝達

漢字ゲームその④ 伝達
与えられたお題を漢字だけで表し、お題を知らない同じグループの解答者(別の場所で待機)に答えを当てさせます。
上の写真は「桜」をお題として与えられたグループの作品。
なかなか上手ですね。
ちなみにこのグループは見事に解答者に答えを当てさせることができました。

ここで問題。
下の①と②は学生が考えたものですが、それぞれ何を表したものか答えよ。
※答えはスクロールすればわかります。
①音、丸、薄、硬、耳、白、円、回、電、歌、楽…
②水、苦、熱、黒、湯、覚、糖…

ゲーム形式にしたこと、4つのグループで競わせたことにより、非常に盛り上がりました。
また漢字を使い、漢字で考えることでいい勉強になったのではないでしょうか。
学生たちも「楽しかったけど、勉強になった。またやりたい」と言ってくれました。

象グループ

4つのゲームを終えて、最下位だった象グループは罰ゲームの後片付けをしました。





先ほどの問題の答え
①CD
②コーヒー



iタイム


(セ)


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2012.05
10
5/10(木)

今週のiタイム
まずはこれです。

DVD「多言語防災マニュアル 地震」

財団法人仙台国際交流協会企画・制作のDVD「多言語防災マニュアル 地震」を視聴しました。
母国で地震を経験したことがない学生も多いため、当校では主に新入生を対象とし、毎年学生たちに見せてきました。
そのおかげであの3・11の大地震でも大きな混乱がなく対応することができました。

DVD 視聴中

12の言語で作られていますが、当校の学生は多国籍であるため「やさしい日本語」版で見ました。
今年入学した学生たちも地震のメカニズム、地震語の対応、地震に関する用語など地震について理解できたことでしょう。
DVDを見た後にはK長先生から、3・11の経験も踏まえて防災についてお話をいただきました。

………………………………………………………………………………………………………………………………………

休憩を挟み、後半は「アクロスティック」という言葉遊びをしました。
「あいうえお作文」と言ったほうがわかりやすいでしょうか。
以前にも授業で行ったことがあります。
詳しくはこちらをご覧ください。

さて今回のお題ですが、「どうも」、「こわい」、「あした」、そして「名前を使った自己紹介」です。
学生たちの作品の中からいくつかをご紹介します。


「どうも」

 こにもない っていない のをもらいました

 もだちから わぎを らった 

 うもありがとうございます どんをかってくださって しよかったらもっとちゅうもんしてもいいですか 
 
 
「こわい」

 の しつに ばけがいますよ……わわわ

 わいかのじょといるときもちが るくなる ないほうがいい

 はんをたべない るい人 らっしゃいませ

 くぶんちょうには かい女の子が る ※国分町…仙台市にある東北最大の歓楽街


「あした」

 めのとき ごとに行くのは いへんです

 したになっても んぼくをはかることは いへんだとおもいます

 なたと会える日 たいことがたくさんある のしみにしています 


「名前を使った自己紹介」

 アン・トゥさん
 あんとぅはわたしです もだちがすくないです まれたところはベトナムです

 シンシアさん
 しんせつさを大切にしている あわせに生きていく なたがいるから

 イグマティアルさん(通称イグマさん)
 まは仙台国際日本語学校でべんきょうしています ラスは2です いにちたのしいクラスです


作品を味わっていただくため、あえて説明は割愛させていただきます。
こういう遊びが将来、日本語での作文や弁論、レポート等につながっていけばいいなと願っています。


iタイム


(セ)


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2012.05
08
2月のことですが…
震災文集『ワタシタチの3・11-留学生40名の作文集』をお送りした広島県の方から、
「文集にCDは付いていないのか」というお問い合わせをいただきました。
話を聞くと、その方はどうもご高齢で目が不自由だということ。
ですが、残念ながら『ワタシタチの3・11』にはCDは付いていません。
せっかくご購入いただいたのに申し訳なく、どうすればいいものかと私達も頭を抱えていました。

そしてGW前…
学校に思いもよらぬものが届きました。
それがこちら。

テープ

文集の全文が吹き込まれたテープ、全3巻の大作です。
これはさきほどご紹介した、お電話をくださった方の話を受けて、
広島県三次(みよし)市の三次朗読奉仕者友の会の方々が作ってくださったものです。

テープと一緒に添えられていた手紙を読むと、このテープが作成された経緯がよりわかると思います。
ブログに掲載しても問題ないとのことでしたので、その一部をご紹介させていただきます。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………

 学校の皆様には色々なおもいをかみしめながら巡りきた春を味わっておられることでしょう。
 ここ三次の地は先週でほぼ桜は終り、今はつつじのピンクが山々を彩り、田んぼで田植えの準備が始まっています。
  (中略)
視力の不自由な方のおひとりからの要望で、作文集を読ませていただきました。
録音テープ完成までに約二ケ月もかかってしまい、昨日やっとダビングを終えました。
作文を他の会員(リスナー)にもぜひ聞いてほしいとのことで全員に届けました。
又、貴校にも届けてほしいと言われ、こうして送らせていただきました。
拙い読みでお聞き苦しいと思いますが、外国から勉強しに来ておられる方に聞いていただければうれしいです。
 ここで、読み終えての感想や、お許しを得たいことなど少し書きます。

  ・お名前のカタカナ読みが正しいアクセントや発音になっていないと思います。
  (中略)
  ・文法的に、あるいは日本人の感覚で?と思える文章やことばは、最初は読むのに違和感がありました。
   しかし、次第に慣れてきて、むしろ、ああ、外国の方がここまで日本語で考え、書かれたのかと感心し、
   ことばを手に入れることの苦労を推察しました。
  (中略)
  ・小さな誤読があるかもわかりませんがどうかお許しください。
  ・全体的に貴校の教職員の方々と留学生の方々とのあたたかい人間関係、学習への熱意などが感じとられました。
   加えて、3・11を通して地域を愛し行動されることで貴校の社会的存在意義がより高まっていくのだなと思っています。

 以上長々と書いてしまいました。
(中略)私達三次の会が、思いがけず小さなつながりをもたせてもらったことに感謝しております。
皆様の充実した学校生活が続くように、そして仙台や被災された多くの地域の人々の日常が早く元に戻れるようにと、
遠い三次の地から願っております。

                                                            三次朗読奉仕者友の会

………………………………………………………………………………………………………………………………………………

三次朗読奉仕者友の会では、今後CD化することも検討してくださっているそうです。
当校と致しましても、いただいたテープ(またはCD)をダビングし、
宮城県の視覚支援学校に寄贈する等有意義に使わせていただこうと考えております。

最後になりましたが、教職員一同深く感謝しております。
三次朗読奉仕者友の会の皆様、本当にありがとうございました。


(セ)


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2012.04
25
4/25(水)

今日はみんなが待ちに待ったお花見の日。

満開

桜前線が北上し、仙台も桜満開!
先週の授業で準備も万端!
今日は天気も良く、絶好の花見日和です。

出発

朝9:00、遅刻者ゼロでいざ出発!
目指すは仙台市内の桜の名所のひとつ、榴岡(つつじがおか)公園です。

自己紹介

歩くこと約20分で到着。
普段は午前クラスと午後クラスに別れて授業をしているため、まずはお互いに自己紹介。
青い空とピンクの花の下、みんなの顔にも笑顔が咲きます。

乾杯!

お酒はないけど乾杯~!

肉食女子

用意しておいた鶏の唐揚げとコロッケにかじりつく女性陣。
恥じらいなんて微塵も感じません。
「肉食女子」はもはやワールドワイド!?

歌うネパール軍団

そして毎度お馴染みネパール軍団による歌の披露。
今年はなぜか国歌斉唱でした。

ビンゴ大会

こちらも毎度お馴染みビンゴ大会。

大喜び

当たった人から賞品を選んでいくのが仙台国際日本語学校式。
こちらは今年の目玉商品をゲットしたCッパソンさん。
彼女をはじめとする奥様方は、バスマットやタンブラーなど実用的な商品を選んでいました。
もちろん残ったお菓子やジュースなどもしっかり鞄に詰め込んでいました。

複雑

複雑な表情を浮かべているのはAンナプルナさんです。
理由は…わかりますね。

サッカー

ビンゴの後は自由行動。
サッカーをする人あり、散歩をする人あり、写真を撮る人あり。
みんな思い思いに楽しんでいました。

集合

最後は記念写真。
みんな良い顔ですね。
明日からも勉強頑張りましょう!
こちらもどうぞ。


(セ)


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2012.04
19
4/19(木)

2回目のiタイム
今回はまず、当校独自の漢字検定試験K.TESTを紹介し、その後すぐにチャレンジしてもらいました。
抜き打ちだったにもかかわらず、みんなやる気満々!

K.TESTにチャレンジ

結果が楽しみです。
合格した人には認定証を差し上げますよ。

Red or Green?

テストの後はW先生からごみの分別の仕方について。
仙台市ではこのように、赤の袋に「プラスチック製容器包装」緑の袋に「家庭ごみ」を入れて捨てます。
「家庭ごみ」には、小型電化製品やかさ、割れた食器類も含まれており、どちらに入れたらいいか迷うものもありますが、
I江先生曰く、基本的には「プラスチックは赤い袋、それ以外は緑の袋」と覚えればいいようです。

ペットボトルは?

「ペットボトルはどちらに捨てますか?」と質問したところ、
「どちらでもありません先生!」とネパール出身Aンナプルナさん。
ラベルとキャップを外しそれらを赤い袋に捨て、ペットボトルは床に。
そうです、「缶・ビン・ペットボトル(ラベルとキャップは取って)」は赤い袋でも緑の袋でもなく、指定の箱に入れるんです。
日本のごみの分別の仕方も、分別をする意味もしっかり理解してくれたようです。

桜について

最後はK長先生より桜についてのお話。
実は来週みんなでお花見に行くことになっており、それにあたって学生たちに桜のことを深く知ってもらおうということなのです。
心理学でいう「スキーマの活性化」というやつですね。
「花明り」「山笑う」といった桜に関する言葉や、「日本人はなぜ桜を愛するのか」といったお話の後、桜の歌も紹介していただきました。

ということで来週の「今週のiタイム」はお花見の様子をお伝えします!お楽しみに。


iタイム


(セ)


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2012.04
16
4/12(木)

以前お伝えしたiタイム
第1回目は授業開始2日目の先週木曜日に行いました。

自己紹介

まずは教職員の自己紹介から。
学生のみなさん、早く先生たちの顔と名前を覚えてくださいね。

授業、試験について

続いてはE先生から日本留学試験と日本語能力試験について。
日本語学校は日本語のみを学ぶ場ではありませんが、日本の専門学校や大学へ進学するための予備教育という性質上、
非常に大切なのが日本留学試験と日本語能力試験です。
この2つの試験の違いと実施される時期、またその対策のためにどんな授業を行っていくかについても説明していただきました。

真剣

みんな真剣に聞いています。
今回の話を聞いて、それぞれ目標設定ができたことでしょう。

真剣②

お次はS藤先生から今年度のスケジュールと校則・日本の法律についてのお話。
しかもK長先生のアクション付きで。
母国とは違う日本のルールに最初は戸惑うこともあるかもしれませんが、こればかりは「郷に入れば郷に従え」です。
ちゃんと覚えてきちんと守りましょう。

3色ボール

最後はこのボールを使ったコミュニケケーションゲーム。
このゲームのルールは簡単。
まずはみんなの顔が見えるように円形に座ります。
そしてボールを投げ、ピンクのボールを取った人が自己紹介。
それ以外の色のボールを取った人は自己紹介をした人に対して質問をするというものです。
ほとんどの人と初対面であるため、初めは緊張している様子の学生が多く見受けられましたが、徐々に笑顔も見られ良い雰囲気に。
これをきっかけに、1年間仲良くやっていきましょう!

「今週のiタイム」ではこんな感じで毎週のiタイムでの取り組みをお伝えしていきます。
乞うご期待!

iタイム


(セ)


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2012.04
12
                        About “i TIME”


.What is “i TIME”?

 “i TIME” is a new style of classes which we are starting in the academic year 2012.
This new style of classes is designed to meet the need of the students who want to speak Japanese
better by giving more opportunities in which they are exposed to the Japanese language.
It is also designed to maintain or enhance students’ motivation to learn by contributing the development of their Japanese.

“i” of “i TIME” stands for as follows.

  ・i for Idea: Time filled with the idea of teachers and students
  ・i for International: Time to promote international understanding through discussion with students from various cultures
  ・i for Interest: Time to share what students are interested in
  ・i for Intelligence: Time to enhance intelligence                    
  ・i for Ice breaking: Time to build closer relationship through breaking the ice among students and teachers
  ・i for Information: Time to provide useful information for students
  ・i for I (myself): Time to express myself
  ・i for “” (love in Japanese pronounced as “ai”) : Time filled with love


. Syllabus
 
 Class time  90 min on a weekly basis

 Class     This class will be basically held beyond classes. However, some classes may be held in a usual class according to contents.

 Contents   We choose a subject every month based on the idea of “i TIME”.
          Subjects will be guidance, activities to improve communication, Japanese culture experiences,
          entries to events organized by other organizations and applications to various contests in this academic year.
          Details will be updated in our blog.

iタイム


……………………………………………………………………………………………………………………………………………………


                      「iタイム」について

  

Ⅰ.「iタイム」とは

 学生の日本語の使用機会を増やし、「日本語で会話をしたい」という学生のニーズに応えることと、
日本語学習への意欲を継続、あるいは強化させ、長期的な日本語能力向上に貢献することを目的とし、
2012年度から始まる新しい時間です。尚、iタイムの「i」には以下のような意味が込められています。

  ・Idea … 教師と学生がアイディアを出し合って作る時間
  ・International … 様々な国の学生が集まり意見を言い合うことで、国際的な理解を深める時間
  ・Interest … 学生の興味・関心のある内容を扱う時間
  ・Intelligence … 楽しむだけではなく知性を育む時間                    
  ・Ice breaking … 教師と学生、また学生同士の関係をより良好にする時間
  ・Information … 学生たちにとって有益な情報を提供する時間
  ・I … 「私」が主役になる時間
  ・ … 愛のある時間


Ⅱ.概要

 実施回数及び実施時間 : 週1回90分
 クラス : クラスと言う枠を取り払いますが、内容によっては通常のクラス単位で活動する場合もあります。 
 内容 : 上記Ⅰの考えに基づき、1カ月ごとにテーマを設定して行います。今年度はガイダンス、
        コミュニケーションゲーム、日本文化体験、外部イベントへの参加、各種コンテストへの応募等を
        計画しております。詳細は当ブログにて随時公開致します。

iタイム


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2012.04
11
4/11(水)

仙台国際日本語学校の2012年度がスタートしました!

インドネシア、ベトナム、中国、韓国、ネパール、ホンジュラス、アルゼンチンから新入生がやって来ました。
また、まだ来日してはいませんが、イタリア、サウジアラビアの学生も加わる予定です。
昨年度からの在校生、プライベートレッスンの学生も加えると、なんと13カ国!!
例年に比べると学生数は多くありませんが、ますます国際色豊かになりました。

がんばりましょう!

日本語の勉強はもちろん、様々なことに学生と一緒に挑戦していきます。
2012年度も仙台国際日本語学校をよろしくお願い致します。


(セ)


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2012.04
09
Toshihiko, SETO(Japan)
Full-time instructor at the Sendai International School of Japanese

 At 14:46 on March 11th, preparing for my next lesson in the staff room, I felt a tremendous quake and immediately left my desk. Shortly after, a whiteboard fell down onto where I was sitting while textbooks fell from the shelves one by one. There were tens of students and several instructors crouching in the corridor. Miyagi prefecture is the region which was expected to more than likely to be hit by a large earthquake in the near future, so at once I realized it finally had happened. The quake was so strong that for some reason I could not help laughing. Moreover, the quake lasted a very long time. When the lights went off in the corridor and a small orange emergency light came on, I prepared myself for uncertainty. Although news report said the earthquake measured a lower 6 on the Japanese intensity scale in Aoba-ward, Sendai where the Sendai International School of Japanese is located, I believe that the quake was far worse and intense we felt in our school, which is on the 7th floor of the building.

 After the main quake stopped, we evacuated our students to the park in front of our school. Not being able to communicate on our mobiles, we had no information at all. However, as we were prepared for the worst possible scenario we may encounter, we ran to a nearby convenience store and bought some food.

 There were a lot of people in the shop with the lights off. The shop had already run out of lunch boxes, rice balls and bread. However, there were still some confectionaries and bottled water left. A clerk had only a calculator to check out and it made the work harder. When we distributed the confectionaries and drinks back in the park, some students did not understood that the provisions were meant to last and should be rationed and mistakenly finished them.

 About an hour later, there were still aftershocks which were grate enough to sway roadside trees. However, our principal told the students to head home and return at 9 am on Monday, 14th. I usually take a train to go to work, but I had to walk back this day. It was snowing. In the city, traffic lights were off and the windows from all the buildings had shattered and the broken glass was everywhere. The pavement had cracked and heaved from the quake and caused fissures and ridges in the road. After I walked about an hour, I saw a TV station which had light. As I entered, I saw a TV in the lobby and it was airing shots of the sea. With a close look I figured out where it was, the screen had “Live at Sendai Airport” in the upper left. It took a while to understand what it meant. There were graphics and maps showing the all of the islands of Japan fringed with red and yellow signifying a warning about a massive Tsunami. I finally understood the magnitude of the situation. It easily exceeded the worst possible scenarios that we thought of when we evacuated to the park. I walked another hour in shock arriving home in the dark. Inside my house, there was no place to step the floor was covered in rubble. I entered into my room carefully with my shoes on, only having the light of my mobile phone. I quickly realized that it was impossible to live there.

 The elementary school became an evacuation center and filled with a lot of people. However, I luckily managed to find some space for myself near the door of the library room. The noise of the sliding door behind me made a rattling noise that was similar to the sound of rumbling before earthquakes began and I was scared every time someone used the door to see whether their family and friends were safe. The radio updated us with reports of the damage in the coastal area. Having no images, I was scared by the phrases such as “the number of dead and missing is many” “we have not obtained the full scale of the earthquake devastation”. Only having my business suit on without any warm cloths, I trembled with coldness and fear and ended up not sleeping almost all night. A half of banana and a handful of snacks were the only food which was distributed the next morning. However, I was extremely grateful for that, moreover I had to be in line for 2 hours in order to charge my mobile for 10 minutes; I could not reach my family and friends in Ishinomaki. In the end I stayed in this evacuation center for 3 days.

 On Monday 14th, I headed by bike for the park in front of my school where we promised to see each other again. There were more students than I expected. It was difficult even for us Japanese. So, I cannot imagine how hard and tough it was for them as international students. I still remember that I found them compassionate and resilient as they concerned for me. Luckily, we were able to find out the situation of all but a few students.

 On Tuesday 15th, as one of the students appeared to be in Ishinomaki and I could not contact my family, another teacher and I drove to Isninomaki. Being located in the coastal area of Miyagi prefecture, the media was reporting “devastating casualty” at that time. Even though 5 days had already passed, not all the water had receded from Ishinomaki. So, it was difficult to drive.  We had to park our car in a convenience store parking lot from which the sea water had already receded. We started to walk towards my parents’ house, where we hoped to gain information.   The first floor had been damaged by the tsunami but passable. I found my family there. My father told me where the evacuation centers were and also the flooded areas so that we headed for the town where the student may be by bicycle. The smell in the air was a mixture of sea water and oil. The air was full of the sound of sirens and helicopters. I will never forget these sounds, smells and the view of total destruction of my hometown. Finally, we almost reached the area of town the student may be in. However, the sea water and mud prevented us going any further and we had to give up.

 On Wednesday 16th, one of the missing students popped into our school. We also found out the condition of others and that of a student in Ishinomaki. It took 6 days after the earthquake to make sure all members of the Sendai International School of Japanese were all right.

 After the 14th, a lot of students left Sendai. It was understandable as nearly all infrastructure stopped working and we could buy just enough food at that time. Remaining were 20-30 students including those graduating in March. The graduating ceremony had been cancelled due to the earthquake but we decided to conduct a ceremony anyway, even though it was different than usual. With laughter and tears, the ceremony was moving although it was held in a small class room with few in attendance. I believe everyone there for the briefest of times forgot the devastation and difficulties of the disaster.

 More than half a year has passed since then and we have managed to support to our students since the earthquake, with a small graduation ceremony and with fewer students since classes restarted in April and we are putting information in our school’s blog. Looking back the over the last 6 months, we have been making efforts to do what we can do now as a school in a difficult situation. These essays written about experiences of students after the disaster were assembled to express our feelings and struggles. At the same time as our students suffered and endured we staff also were earthquake victims. We strongly believe that returning to life the same as before the earthquake is the best message to send all that we are strong as a city and school.

 As a Japanese language school in the area devastated by the earthquake, we were interviewed many times, especially because our students were involved with volunteer work. On October, 2011, a lot of students returned to our school and began studies. At the same time, a number of students chose to move away and other students who were scheduled to enroll in April cancelled. Additionally, after the earthquake, the number of students who want to enroll in school drastically declined. This situation was out of our hands and there was nothing we could do to change it. However, we continue to support our students as a Japanese language school. Showing the world that we are committed to supporting our students and growing as a school is important to us. We believe that our way forward is to show our hard work to return to a better place is through our students.


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2012.04
09
 I am a student at the Sendai International School of Japanese. I am a Mexican. This year the greatest earthquake took place in Japanese history. I was very scared. I was in the school at 14:46 on March 11th. I heard something shaking. My class heard something trembling. Immediately the tremendous earthquake started.

 Everyone quickly hid under their desk. Women began crying. We held each other. The earthquake did not stop. All of us were very worried. Our teachers ordered us to quickly get out. We started running down the stairs.

 I was very surprised outside.There were a lot of people. Everyone used their mobile phones. I thought of my family and friends. We stayed in a park for about an hour, waiting for further instruction. Afterwards, our principal said “You are going home now. Please pay attention to for further earthquakes.”

 I went home with Victor, who lives with me.It snowed a lot around 4 o’clock. I was stunned. On my way back, I saw a lot of cars abandoned. A lot of people were forced to walk long distances. Everyone appeared to be anxious. I thought “What would you like to do now? Would you like me to help you with something?”

 When I went home, I was very sad. A lot of things were broken. I found that my room messy. The biggest issue was the children in the La Salle Home. We had to ensure their safety.

 It was impossible to use any communication networks. Having no electricity, we were not able to talk on mobiles. As the traffic was busy, it was chaos.

 Sendai looked miserable at night. With no electricity, we lit candles. I heard ambulance siren continually. There were a lot of helicopters flying around. Earthquakes took place every 20 minutes. I wanted to rest but it was impossible. Early next morning, I bought a lot of food and beverages. There were no public services such as gas, water and electricity available at home. My life became very difficult.

 I received a phone call 11:30 this day. It was from a famous Mexican TV company. I was surprised. They said “Can we interview you now?”. I answered “Yes, no problem”. Then, the interview started. I was not at all nervous. Although the people of Mexico worried about us in Japan, I wanted to share good news. I wanted the people of Mexico not to worry too much.

 That night I could access the Internet with my mobile. “Wonderful! Great!” I could listen to my interview on the web. I received a lot of emails. As everyone worried about me, they wrote a lot of comments. Their comments come from the hearts. I was delighted very much. Of course my family contacted me. So, I thanked God. As I was fine, I did not need anything special. Although I cannot forget that night, I could learn a lot things and teachings.

 It was a terrible experience but I was impressed by the Japanese. Truly, the Japanese people came together well. They are still making great efforts. Japan is working like a team.

 When I was a child, I loved Japanese culture. Now I would like to express my respect to Japan. To express my respect, as I am not good at the Japanese language I work in other ways. Therefore, I’m now doing volunteer work. I worked in a varieties of fields. I cleaned, gave food and beverage. I went to some places such as Ishinomaki, Shiogama and Iwanuma.

 I want to say on TV “You are not alone. Let’s work all together. Japan is a team”. I pray for Japan.


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2012.04
09
 First of all, I hope that those affected by the Great East Japan Earthquake recover as soon as possible.

 The Great East Japan Earthquake on March 11th, 2011 affected our daily lives as international students who come to study in Japan as well as Japanese people.

 The Tohoku district was destroyed not only by the earthquake but also the Tsunami and this gave me valuable experience in understanding natural threats and disasters.

 When the earthquake occurred, I was at my part time job. Since I had never experienced an earthquake before, I didn’t notice what was happening at first. However, seeing Japanese people fleeing, I fled too. I finally noticed that there were tremendous shakes when I got out.We gathered outside in a safe place from falling debris and waited for the shakes to stop. But, the earthquake lasted for the very long time. When the initial shakes stopped, we decided to get our personal belongings from the lockers. As it was still dangerous, a few of us went inside and carried out our belongings from the lockers. Then, we decided to go home.

 I usually take a train to get to work and get off the train at the 5th station from my station to change to a bicycle. Although I went to the station by bicycle on that day, I found the train was not running so I decided to ride home. When I was nearing my home, I saw the Tsunami rushing towards me. The tsunami arrived at my feet very rapidly and as I was stunned, I dropped my bicycle and ran away from the surging water. Not knowing where to go, I walked around and popped into where people gathered. I clearly remember it was a very cold night. On the 4th day, as I happened to meet a Japanese acquaintance who lent me his bicycle so I could finally go home.

 As there were no essential utilities available at home, I had to go to a nearby elementary school and a junior high school where there was an evacuation shelter. Even though I already knew that there was little or no food available I stood in line with others hoping to receive anything. Unfortunately, with the shortages the distribution finished before it was my turn. Even though I received nothing, I was cheered by the smiling faces around.

 I had lost my phone and was worried about being not able to contact my family. Being worried did nothing to help that I wasn’t able to communicate with them. 4 days later I was able to use my friend’s phone to contact my family. My family was concerned and asked me to return home because of the radioactivity spreading after Tsunami. I did not want to return home and decided to stay. It has been nearly 2 years since I came to Japan and I can only think of all the teachers and my friends who have helped me. I am saddened at the thought of leaving them in this situation without staying to help. I have decided to stay in Japan after the disaster and will do my best to help restore order and return everyday life to the same as before the earthquake working alongside the Japanese, my friends and teachers.


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2012.04
09
 Even before I came to Japan, I was aware that there are earthquakes in Japan and that they frequently caused damage to the country. However, history showed that the level of damage and loss of human life had never been high in Japan so I didn’t pay very much attention to earthquakes because I thought no one was killed by them. When I experienced an earthquake for the first time, I wasn’t scared at all but found it rather fun. As I increasingly got used to earthquakes, they became like sand storms in Saudi Arabia.

 When the tremendous earthquake we had been warned about in this region took place, I couldn’t tell how big it was and thought it was the same size as those I had already experienced. I was shocked when Japanese people around me were scared. “Why? Isn’t this usual?” Later that day, I was stunned when my mother called me and told me the death toll. “Were the earthquakes today that tremendous?” After the earthquakes, there were no electricity, water and gas. As water and electricity became available again the next day, I accessed the Internet and learned from the news about the tremendous damage caused by the earthquake. It was unbelievable. Ten thousand were killed by the tsunami and another 10,000 went missing.

 It was due to the high level of Japanese civil engineering work that no buildings and bridges are destroyed by the earthquake, which is what made me think that the earthquake was small. I had seen earthquakes destroy buildings and bridges and kill a lot of people in other countries on the news since I could remember. However, none of buildings and bridges were destroyed in Sendai and the tsunami didn’t reach where I live as it is far from the sea. So, I couldn’t tell the size of the earthquake.

 After the earthquake, while I couldn’t reach the network with my mobile phone, I had access to the Internet and could post messages on Facebook to relieve my family and friends in Saudi Arabia. Afterwards, my life was difficult as there was no electricity and water all day long. All foods were sold out in convenient stores and supermarkets. All restaurant were closed. I found it was good idea to buy food for two weeks at a time. As I am optimistic, I thought that everything would recover in a short period of time. I held onto those thoughts for a long time as many people were concerned about the radiation. However, others were not optimistic. Since foreign embassies urged us to go back to our own countries, foreigners started to leave Japan. Even though I didn’t want to go home, I had no choice.

 My most unforgettable memory is from two days after the earthquake. There was no chaos; everyone formed a line. However, everyone bought more than they needed. I bought twelve bottles of water from a vending machine once.

 Sunday , two days after the earthquake, I was forced to go to Tokyo, then Saudi Arabia. When I came back to Japan one month later, almost everything was back to normal. I was surprised. That was due to the fact that Japanese people are very hardworking.


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2012.04
09
 I still clearly remember that I asked my teacher this question during class on the morning on March 11th.

 “Sir, are the recent earthquakes signs of a bigger one in the near future?”

 “I’m not certain whether there will be bigger earthquakes taking place or not. However, usually big earthquakes are followed by aftershocks.”

 I was somehow relieved by the answer. This was because I kept notes of the times of the earthquakes even though they were an intensity of 2 or 3 on the Japanese scale in my notebook right after my arrival in Japan. I didn’t know those small earthquakes in the past were not comparable to the Great East Japan Earthquake at all. I can’t help really laughing at myself since I used to think I would be killed by those small earthquakes. Now I know these ideas were entirely ridiculous and stupid. Although I was totally scared by my first earthquake, I gradually started to think they were not that scary. However, as I thought a big earthquake would hit Miyagi prefecture someday, my feeling of unease remained in my mind whenever earthquakes took place.

 In the afternoon on March 11th, I went to my part-time job as usual. My place of work was a curtain company which was close to the sea in the Gamo area. During my shift, I felt the different kind of shaking under my feet. I got out of the office room, saying “Earthquake!” and tightly held the wall next to the door. Although I expected it to stop soon, bigger shakes started. So, I immediately looked around whether there was something dangerous around me. Even though it was badly shaking, others ran to my place because they thought my place was safer. A Japanese person next to me called her husband probably as she was worried about him. There was already no electricity by then and telephone communication was down. However, as a result of such tremendous quakes, the lockers and the ceiling fell down. Due to the dust filled air, I had trouble breathing. Luckily, the quake lasted a minute or so, so that it wasn’t bad.

 Everyone went outside through the emergency door. When I thought everyone was fine, something I didn’t expect happened. As a Japanese girl had injured her left leg, and her sandal was covered with blood. Looking at her, I realized that the earthquake had already taken place. Surprisingly, cell phone from AU could still had reception. The manager called for an ambulance and the girl was hospitalized.

 When we checked the number of workers, we found a trainee girl missing. She came down about 10 minutes later, assisted by two people as she couldn’t walk by herself. I talked to her later and learned that she was in the toilet alone and totally horrified when the earthquake occurred. Moreover, she was totally upset by finding the automatic exit door didn’t open and she couldn’t get out in hurry.

 The quakes didn’t stop after the tremendous quakes took place. Our leader took us to another building which was more earthquake-proof. Then, he suddenly said “It is safer in this building. So, get inside quickly”. When we heard this, we mumbled “We already thought we were going to die inside the building . Why do we have to get in?”. Seeing an electric cable swung so widely that appeared to be going to cut off at any time, I thought it was dangerous both inside and outside of the building. Then, everyone was hesitant to go inside. It slipped my mind that I was close to the sea at that time. I just thought I survived the earthquake. I could hardly expect the Tsunami which was high enough to kill us later to rush in. As it was the most tremendous earthquake in my life, I was entirely shocked and couldn’t decide what to do next. Our leader convinced us and succeeded in taking us to the roof of the building.

 Within less than 10 minutes, the Tsunami was rushing to our building with making white bubbles from far way. Like toys houses and cars were swept away as bark debris and refuse in a moment. I was stunned by the sites that held cozy houses a minute ago vanished and left only pine trees. Tsunamis are really awful as they take everything away in such a short period of time between its arrival and leaving. I heard that the second and third wave are worse than the first one. Luckily, the second and third wave went another way.

 A Japanese woman who lived nearby was searching for her house, saying “I can’t find my house. I can’t find my house,” with tearful expression. Another person wiped her eyes in a corner probably because she worried about her family.

 Nature gives human beings hope while at the same time it gives us disappointment. No matter how human beings are strong, we are helpless against natural disaster. Soon, the Tsunami started to ebb away. Then, the fire in houses and factories sprang up here and there. It was like I was watching a blockbuster epic. After we made sure that we were safe, we went down on the 2nd floor and waited until Tsunami completely left.

 As the earthquake took place during our working hour, everyone was wearing only light clothing. As it began snowing, I felt incredibly cold. I was glad to be able to warm myself with a big plastic bag.

 The earthquake was followed by aftershocks. That was why we expected Tsunami to rush in again and all we could do we was wait. Some factories continued to burn all night long. I sometimes heard explosions.

 The sky was beginning to lighten at around 5 am. Soon or later, the red sun started to rise from the East. It looked redder than usual. I felt like I had won. On the other hand, I felt really sad deep in my heart because of the fact that the sun will always rise after an earthquake and Tsunami but many thousands of dead people will never see it again.
During the early hours surrounded by destruction, I started to see the Self Defense Force members little by little after 7 am. With a closer look, I could tell that they were carrying dead bodies covered by white clothes on stretchers. I was shocked! We safely got out from the building around 9 am.

 It was horrible outside. Dead fishes were scattered everywhere. After I walked for a while, I saw cans of beer and juice from the Kirin Brewery Company were scattered everywhere. I felt like I was in the kingdom of beer.

 Then, the Self Defense Force took us to a junior high school in Nakanosakae by car. As I finally left the sea side, the feeling of fear and sadness lessened at the bottom of my heart.
Song san and I walked from there to Sendai. I felt like taking a walk from the hell to the heaven. This was because I wasn’t starving any more. I stayed in an evacuation center on the first day when I came back to Sendai. A rice ball which was provided there was my first meal since the earthquake.

 After that, going back home, I cooked and ate with my friends for a while. One day later, Mr. Endo brought necessary things for the daily life such as gas, water, food and so on. There was nothing I appreciated more than this. I was very impressed and delighted that we were in the thoughts of our teachers during this time.

 Afterwards, I went back home temporarily. My parents strongly opposed me returning to Japan, saying “we don’t allow you to go to Japan this time.” To be honest, it was our school’s blog that made up my mind of returning. I was impressed by our teachers who were consistently working very hard, our teachers who were always making their best for their students in the front line.

 Additionally, I became sad, thinking that my resolution of working hard to make my dream come true after finishing a Japanese language school would vanish along with the earthquake. Losing my dream is like a bird with a clipped wing in sky. The bird will fall down somewhere. So, I once again decided to come back to Japan and make a good effort towards my resolution, not listening to my parents who were in strong opposition. I hope Tohoku, Japan works as hard for their resolution as I do.


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2012.04
09
 On March 11th , at the time of the earthquake I was on my way to an Internet café after school. As I don’t have the Internet access at home, going to an Internet café is one of my pleasures on weekends.

 When I was walking along the road, the ground started to tremble all of sudden. I had become used to earthquakes as I have been in Japan for two years. However, I soon noticed that it was totally different from ones I had already experienced. I started to run to the park which was 50 meters away from where I was. More and more people started to evacuate from nearby buildings and came to the park. There were 2,300 people who arrived in short period of time. Emergency bells were ringing in the now-empty buildings. When the shaking stopped at last, I heard sirens from the various direction and saw smoke behind the buildings as well. There were some helicopters flying in the sky. And then it started to snow. So, I found everything around me unbelievable. Maybe this is why I couldn’t tell what really happened and what a tragic disaster took place at all.

 After that, I went to a net café and saw the entire downtown had lost electricity. When I got back home, luckily my house wasn’t seriously damaged. However, it was chaotic inside and there was no electricity and water. I put some bottled water and cup noodles into my bag and evacuated to the nearby Komatsushima Elementary school. Until then, I mistakenly thought everything would haved recovered by the next day.

 However, after I read a newspaper the next morning, I soon learned I found how naïve I had been.

 I didn’t think people -hundreds of thousands of people- had been killed by the earthquake at all. When I learned that , I was totally terrified. Aftershocks and fear kept me sleepless until next day.

 The next morning I went to the Korean consulate. I expected that the consulate would provide bottled water or something while the evacuation center had nothing. As was to be expected, there were some food and water in the consulate. Furthermore, I washed my face for the first time in three days. I charged my mobile phone and was able to contact my family and friends.

 I became an interpreter for a news crew from a Korean broadcast station after I happened to be interviewed by them at that time. Since that day, as their interpreter, I visited various areas hit by the earthquake together with them.
The devastated areas were more tragic than I imagined. I finally learned what the magnitude of the earthquake and the damage.

 Among various sites I went to, the most impressive people for me were the workers whom I met in a general hospital in Rikuzentakata. The first floor was covered by mud because of the earthquake and Tsunami. While we were thinking “no one can possibly still be in such a place”, we discovered signs of people on the 3rd floor. Surprisingly, there were about 160 elderly and bedridden patients in the hospital; doctors and nurses hadn’t left them behind and were trying to take care of them . As almost all of those 160 patients were immobile, hospital staff desperately brought them to the 3rd floor to escape from the tsunami. With no water, gas and electricity left, the hospital was unable to function as a hospital. Above all, the biggest difficulties they faced was the shortage of necessary medicines. Not only myself but also correspondents and a cameraman had tears in our eyes as we witnessed that the hospital staff keeping hope alive and making their best effort to take care of their patients in such circumstances.
This was not the only place. People in the affected areas we visited kept their hopes up and desperately tried to rebuild their lives under unimaginable circumstances.

 As human beings, we were helpless in the face of the natural disaster. However, it was only human beings that could help each other to stand up again. I strongly believe that Japan and the people of Sendai and all devastated areas will rebuild their lives the way they were before the earthquake in time. These experiences made me convinced of this.
I do hope I can be a part of assistance to help Sendai recover as soon as possible.


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2012.04
09
I Will Not Forget 3・11

To Those who prayed for Japan

 At 14:46 on March 11th, 2011, a tremendous earthquake and tsunami in Tohoku, Japan caused devastating damage to the coastal area of the Pacific Ocean side, resulting in the deaths of more than 15,000 people. Also, because of radioactive pollution from the Fukushima No.1 nuclear power plant released following damage caused by the tsunami, people who lived nearby were forced to evacuate. At that time, foreign nationals left Japan either of their own accord or following evacuation advisories issued by the embassies of their home countries’ governments.

 In Sendai, where the Sendai International School of Japanese is located, a quake of 6 on the Japanese intensity scale hit the city while its coastal area including the port was devastated by the tsunami. Since both Sendai and Fukushima are located in the Tohoku region, people had strong concerns about radioactive pollution despite the fact that Sendai is about 100 km away from the Fukushima nuclear power plants.
 
 After a month had passed since the earthquake, life had returned to normal since the infrastructure was functioning again and we could shop and go to work or school. Our school building suffered almost no damage, so our classrooms were available for our students.  However, we started the new academic year in April with a miserable atmosphere since harmful rumours had led more than half of the students who had left Japan to decide not to come back, and led new students to cancel.

 Under such circumstances, we changed our way of thinking and made up our minds to do what we could do for the time being. We took on three activities this year.

 The first one was volunteer activity. We cleared away the rubble and the mud in the coastal area hit by the tsunami. We were speechless when we saw the area devastated by the tsunami firsthand rather than on a TV or PC screen. We worked hard with shovels together with other Japanese people. All our international students told us that they had had a valuable experience which they would never forget.

 Secondly, we conducted more school events than usual. We enjoyed ourselves a lot at many events such as cherry blossom viewing, sports events, festivals and hot spring. It may sound imprudent in such crisis, but we tried to demonstrate the safety of Sendai by putting photos of our events up on our school’s blog and Facebook page. Things we say about the safety of the city are never as convincing as photos of international students smiling as they eat rice cakes wrapped in oak leaves.

 Thirdly, we decided to assemble essays about the experiences of the earthquake disaster by the international students. Forty international students wrote about their circumstances and feelings when the earthquake and the tsunami took place in a ‘foreign’ country, namely Japan. Written in simple words, these essays explain how they found the experience and the behaviour of Japanese people and why they continue to study in Japan after that.

 In Japan, media such as newspapers and magazines covered this collection of essays several times, getting attention especially because they were written not in students’ mother tongues but Japanese. However, we noticed that the Japanese version was not enough to tell the whole world the details around that time and to help them remember 3.11.

 That is why we decided to translate some of the essays into English. The collection includes essays by five international students of different nationalities and one essay by a Japanese instructor. We strongly believe that each of them is moving beyond a language barrier.

 After the earthquake disaster, we had a lot of support from rescue parties from various countries and relief supplies delivered by them. Additionally, heartwarming messages such as ‘PRAY FOR JAPAN’ on TV, newspapers and the Internet comforted and cheered us a lot.

 It has been a year. This time we would like to send this collection of essays along with our appreciation to the entire world.
I would like to ask for your continued attention to our country. Thank you very much.

March 11, 2012
editor in chief Kazuhiko, ENDO
Sendai International School of Japanese


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